お知らせ
2023年1月1日
神の国を求めて生きる
2020年から続く新型コロナウイルス感染症のために、不安を抱える日々が続いています。今年2月の東京四教会研修会講師、田中哲(さとし)氏から、このパンデミックの一つの特徴は、格闘する相手が見えないことであり、大人が不安のなかで子育てをして、子どもたちもいつもよりわがままになり、少しのことで怒り出すといったストレス反応があると聞きました。不安障害を訴える人が多くなっているとも聞きます。そういう人間の不安や恐怖から差別や偏見も起こるのではないでしょうか。世界で起こっていることに目を向けると、欧米によるアジア人差別や国と国との関係悪化は深刻な問題となっています。
そのような中で、山上の説教の中で主イエスが弟子たちに語られた、「だから、言っておく。自分の命のことで何を食べようか何を飲もうかと、また体のことで何を着ようかと思い煩うな。命は食べ物よりも大切であり、体は衣服よりも大切ではないか。空の鳥を見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。まして、あなたがたは、鳥よりも優れた者ではないか」(マタイ6:25以下)との御言葉が心に響きます。主イエスのこの教えは次のように締め括られています。「何よりもまず、神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものはみな添えて与えられる。だから、明日のことを思い煩ってはならない。明日のことは明日自らが思い煩う。その日の苦労は、その日だけで十分である」(33-34節)。
この御言葉は、私たちが何をすべきかを知る必要性を説いています。そこで、「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい」と語られています。
なかなか思い悩むことから解放されない私たちですけれども、天の父は私たちの必要をすべてご存じであることに励まされて、何よりもまず、神の国と神の義を求めることが可能になります。その時に、富に仕えるのではなく、神に仕えることを知るのです。
私たちが仕えている主人は誰なのか、このことを見失うと道をそれてしまいます。主イエスは神に仕える道を選んで歩まれたことをいつも心に留め、私たちは、いつも御言葉に道を照らされて、神の国を求めて生きる者たちでありたいと思います。