牧師の証し
『み言葉に導かれて』 東小金井教会牧師 関伸子
「わたしの愛する者よ」の声に支えられて
こどもの頃、教会学校に通っていて、最もよく聞いた聖書のみ言葉は、「神は愛なり」”God is love”、「隣人を自分のように愛しなさい」でした。教会学校では、分かち合うこと、祈ることを教えられました。中学生になるとバレーボール部と演劇部に入り、それらの活動で忙しくなり、日曜日は友人と映画を見に行くことが楽しくて、教会からだんだん足が遠のき、クリスマス礼拝に行くだけという生活になってしまいました。
高校3年生の時に受験パニックに陥りましたが、母がいつも私の傍らで、「すべてのことが神さまの御心に適って成るから大丈夫」と励まし、祈っていてくれたことに支えられました。19歳の頃、再び、礼拝に出席するようになりました。その頃の私は自信を失い、いつも自己否定の気持ちで一杯でしたけれども、「わたしの愛する者よ」と呼びかける声は、両親、教会の牧師、友人たちから、それぞれ異なった言い方で私に伝えられました。その人たちは、大変な忍耐と辛抱強さをもって教え、導いてくれました。
迷い出た1匹の羊
マタイによる福音書には「『何を食べようか』、『何を飲もうか』、『何を着ようか』と言って、思い悩むな。・・・何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる」(6:31-33)と、思い煩いと優先順位に対する神の御心が示されています。まず何よりも、神と神の国を第一にし、何も思い煩うのはやめ、その代わりに神に全ての思い煩いをお任せすれば「これらのものは全て加えて与えられる」と主イエスが私たちにお示しになっています。
福音書には「100匹の羊を持っている羊飼いが、その1匹を見失ったとすれば、99匹を野原に残して、見失った一匹を見つけ出すまで探し回る」(マタイ18:12-14、ルカ15:1-7)と記されていますけれども、私はまさに、迷い出た羊で、神さまは、信仰のうすい者を探し出して、教会に連れ戻してくださいました。
神の意志は貫徹される
その後、私は、献身の道を示され、「しかし、お言葉ですから」(ルカ5:5)というこの主の言葉に聴き従い、神さまの召しに答え、長い時間をかけて神学校で教会に仕えるための神学を学ぶ時が与えられました。神学校最終学年の後半、長く続けた仕事を辞めました。
2012年2月に日本聖書神学校を卒業し、3月に伝道師任職式を終え、日本中会からの派遣で東小金井教会に遣わされ、伝道師としての歩みが始まった直後に高座教会(*1)から招聘されて大変戸惑いました。
東小金井教会では、毎朝、香月茂牧師とローズンゲンのみ言葉を読み、祈って仕事を始めるのが日課でした。ある秋の日、その日与えられたローズンゲンのみ言葉がイザヤ書第55章11節とルカによる福音書第5章5節だったのです。香月先生がみ言葉を読まれた時にわたしは、「そのように、わたしの口から出るわたしの言葉も/むなしくは、わたしのもとにもどらない」というみ言葉が今も生きて働いておられる神さまのわたしへの語りかけであることを確信しました。
イザヤ書第55章の11節では、神の意志はむなしくなることはなく、必ず神の意志は貫徹されることが宣言されます。それゆえ預言者イザヤは、絶対的な信頼をもってこれに聞き従うことを、民に常に訴えてきました。わたしは、このみ言葉に突き動かされ、高座教会からの招聘を受けることを決意しました。人の思いを超えた神が、人の理屈や方法を超えたところで、わたしたちを導いてくださっているという、神の可能性への信頼に立ち、人間的な不可能と思う中から立ち上がることができる力の原点がここにあります。
信じつつ、委ねつつ歩む
その後、2013年1月から2014年3月まで、高座教会で伝道師としてお仕えし、3月16日に牧師の按手を受けて、4月1日から2016年3月末まで副牧師としてお仕えしました。そして、その間に東小金井教会から招聘を受けて、2016年4月1日から東小金井教会で、準牧師として香月先生と引継ぎをし、2017年1月から担任牧師としてお仕えしています。
わたしたちの思いをはるかに超えた神のみ言葉に従いゆく先々に、神さまのご計画が成就することを主に従い行くなかで教えられています。行く先には、日々、み言葉に生かされ、祈り合う仲間が与えられるというさいわいを日々味わっています。信じつつ、委ねつつ、主に栄光を帰す歩みを続けて行きたいと思います。
*1 神奈川県大和市にある姉妹教会で、カンバーランド長老キリスト教会高座教会